taketommy's blog

誰かの役に立つように、自分が振り返れるように、コソコソまとめています。

肺に穴が空いた時、考えてたこと

そういえば、実は春休み終盤に肺気胸という病で二週間ほど入院しました。どんどん忘れてきてますが、その時考えてたことをまとめてみます。

気胸になった

以前にも、肺に穴が空き病院に言ったことがありましたが、その時は、すぐに塞がり自然治癒での治療だったので自宅安静ですみました。

ですが、今回はその時に癒着した(塞がるときに肺の外側にくっついた)部分が剥がれてしまったらしく、出血するなど外科的な処理が必要な状態でした。

といっても、生命に別状があるわけではなかったのですが、即日入院と言われ、「明日面接なんだけど!」と少し慌てる気持ちと、「就活から逃げれる・・・」といった気持ちの両方がありました。

周りは老人ばかり

入院した病室は6人部屋で、僕以外は大体70以上の高齢者でした。病気の状態は人それぞれで、寝たきり状態の方から自分で歩ける状態の方までいました。

「病院は老人ばかりなのだな」などと考えはしましたが、特に挨拶する雰囲気でもなく、僕もベッドで安静な状態だったので、特に違和感もありませんでした。

手術することに

結局、肺の穴は自然に塞がったのですが、再発リスクを下げるために肺の一部を切除する手術をすることになりました。

手術までに一週間ほど時間があり、それまでは安静にしてて下さいと言われました。肺の穴はふさがっていたので、体の状態も良く、空気を送るために肺に入れてある管がある位で、ほとんど健康な状態でした。

ネットの先にある日常

病院での生活は、基本寝るか本を読んでました。横浜の僻地に病院があったため、お見舞いに来てとも頼みづらく、ほとんど人に会わない生活でした。

病室ではiPhoneを使用して(利用しても何も言われなかった)TwitterFacebookなどを見ていたので、自分は非日常な空間にいるけど、ネットの先にいる人達は変わらない生活をしていて、なんだか不思議な感じでした。

死が近くにあること

病院には様々な容態の患者さんがいました。自分で呼吸できない人や、車椅子を使わないと移動できない人。

普段の生活では、あまり見ない不自由な生活をしている人。

遠い未来のように感じてましたが、「いつか僕も歳をとるのだ」とずっと考えていました。その時、だれかお見舞いに来てくれるだろう。そもそも、今の交友関係っていつまで残るものなんだろうとか。

人間は、「死」を考えないように上手く設計されてるのかもしれませんね。いつか死ぬ、なんてことを真剣に考えてる人は少数です。

たまに、「毎日、今日死んでも後悔しないよう生きてる」なんていう人もいますが、本当にそう思って生きてるなら異常です。

実際に「友人、知人、家族の死」をきっかけに悔いのない人生にしないと。と死生観を改める人もいますが、そんなに長続きしないと思います。

手術

そんなこんなで、色々考えてるうちに手術の日になりました。自分の体にメスを入れるのは始めてたったので、少し怖かったですが。

手術室に運ばれる間は、かなりリラックスしていました。

手術室に入ると、なぜかワンピースのサントラがかかっており、「なんでワンピースなんですか?」と聞くと、手術助手のおばちゃんが、「わかった?若い人の好みがわからなくて、選んだんだけどどうかしら」などと気遣いでかけてくれたと知り思わず笑いました。

ワンピースのopが流れる中、全身麻酔が打たれ手術開始。起きたら、手術は終わってました。

手術後は不自由

内視鏡手術だったので、傷は小さかったのですが、それでも手術直後は大変でした。自分で歩くことができず、看護師さんに色々と手伝ってもらいました。(介護される人の気持ちになった)

術後、傷の痛みと、39度くらいの熱が続き、一時期はかなりしんどかったです。

この痛みが無くなるなら死んでもいいかなー。なんてうっすら考えながら、次の日まで耐えると。徐々に体調も良くなって来ました。

日常に復帰

経過は順調で、入院生活は2週間で終了。
久しぶりに病院の外に出ると、季節が変わっていました。

家に帰り、MacBookAirに触れた時に、「パ、パソコンだあああ」とキーボードの感覚を懐かしみ。「インターネット楽しい!」と思ったときに、「あれ、俺意外とインターネット好きかも・・・」などと思いました。笑

振り返り終了

色々と省略していますが、大体こんな感じ。
バイト先を始め、色々な方に心配おかけしてすみませんでした。

今、退院後1ヶ月半位なのですが、入院中に感じていた、

  • 「健康が一番!」
  • 「そのうち死ぬんだから、出来るうちにやりたいことやろう」
  • 「最終的に残るのは、親しい人とのつながり」

なんてことも手術痕が薄くなるのに比例して、どんどんと忘れきてました。

忘れること。見ないようにすること。これも、人生を生きやすくするための仕組みだと思いますが、まだ少し覚えてるうちに文章にして残したいと思い、ブログにしてみました。