taketommy's blog

誰かの役に立つように、自分が振り返れるように、コソコソまとめています。

会田誠展、ドキュメンタリーを見て

はじめに


会田誠展:天才でごめんなさい トレイラー映像2

会田誠展、凄く良かったです。
思わず、拝みたくなるような絵を見たのは始めて。


展示作品は、とっても綿密に書かれた作品から、幼稚園生のような絵まで様々。

まったく違う手法を使った作品だけど、共通して、思わず「クスリ」としたり、「ギョッ」としてしまうような、刺激がありました。

全然違う表現手法なのに、軸はブレない。手法に捕らわれず、表現したいものを作り続ける姿が、印象的でした。

ドキュメンタリー


会田誠 ドキュメンタリー映画「駄作の中にだけ俺がいる」

美術とは、
見ることで得られる快楽を
刺激するサービス業―

パンフレットの表紙にもありますが、この言葉に痺れました。

才能を持ち、手法にも捕らわれず、大胆に活動している芸術家が、美術を「サービス業」と呼ぶとは・・・!

この作品は、人にどういう刺激を与えられるんだろうか。そう意識しているからこそ、表現手法を超えた、個性があるのだと思いました。

また、ドキュメンタリーには、作品ができるまでの過程が、家族模様と共に、記録されていました。

展示作品がどういう環境で作られたのか、作品へ取り組む姿勢、自分と同じく孤立した幼少期を送っている息子との関係。などなど、展示会が、より印象強くなる内容でした。

おわりに

自分を表現したい。

そう思って、文章を書いたり、絵を書いたり、歌ったりするのだけど、自分の感情をさらけ出すだけじゃだめ。

使い古された言葉だけど、「受け手がどういう気持ちをもつのか」意識し続けないと、自己表現は自己満足になってしまう。

そう再認識させてくれる、良いきっかけになりました。

「抑圧」と「反抗」を意識せよ!

はじめに

広告を勉強していた時に、よく「ユーザー視点」が大事だよ。と言われてきました。
もちろん、受け手の気持ちになって考えることは大事です。

ですが、最近は「なぜ、そうした感情が生まれたのか」、外からの「抑圧」に目を向けることも大切だと思うようになりました。

この記事では、「抑圧を意識する」ことが大事なんじゃないか。と思い始めた経緯を、エピソードを交えながら紹介したいと思います。

「ユーザー視点」ではなく「抑圧」に目を向けよ

【第二回】ヒットする新規メディアは、「ニーズ」ではなく、「抑圧」から生まれる。 ——「美魔女」ブームが解放した40代女性の「抑圧」とは?|田端信太郎|メディア・バカ一代|cakes(ケイクス)

きっかけは、田端さんの連載記事でした。簡単に内容をまとめると、

「ニーズ」ではなく、「抑圧」に目を向けることが、新規メディアをヒットさせるコツである。と美熟女ブームを起こした雑誌「美STORY」、20代サラリーマン向けのフリーペーパー「R25」が生まれた背景を交えながら、説明されています。

「美STORY」は、「良妻賢母」的な理想イメージに抑圧された女性を意識した。
※40代女性だって、綺麗になりたいし!オトコに口説かれて、ガンガンとセックスしたっていいじゃん!


R25」は、「日経新聞をスラスラ読める企業戦士」への同化圧力を意識した。
※「金利が下がるとなぜ景気が刺激されるのか?」などの「そもそも論」を理解してないが、人には聞けない...

ここで面白いなと感じたのが、よくWeb・広告業界で言われる「ユーザー視点」ではなく、「抑圧」が大事と説明されていることです。

「ユーザー視点」だと「何を考えているか」を意識しますが、「抑圧」では「その考えがどんな影響から生まれたのか」を意識することになります。

この、「抑圧=何が影響を与えているか」を意識しろ!ということが、メディア論だけでなく、様々な面で大切だと感じました。

「抑圧」が「反抗心」を生み、やがて「行動」になる

メディア論の話から、大きく代わりますが。次に抑圧を意識したのは、「中2病」についてのインタビューを受けた時でした。

話しことは主に、世代間における中2病の変化。

簡単に言うと、「尾崎豊」を代表とする「社会への反抗」から「Bump of chicken」や「RAD WIMPS」を代表とする「生きてていいんですか?いいんですよ」的な「自分の存在との格闘」が中2病的になっている。という話をしました。

「社会への抵抗」から「内向きな自己確立の格闘」へ

なぜ、そうなってしまったのだろう。と考えるなかで、ふと「そもそも、社会への反抗ってのが全然リアリティ沸かないんだけど・・・」と疑問を持ち、

「そもそも、何で窓ガラスを割ったり、外向きな反抗をしてたんですか?」と質問させていただきました。

そこで、興味深かったのが、「親や先生からの抑圧」の話です。

昔は、今よりも「親」や「先生」の力が強かったんですよ。学校内では、「先生」が絶対的な存在でしたし、「親」も家庭内で大きな力を持っていました。


だから、その「抑圧」が強かった分、内側から沸き起こる「反抗」があったのでしょう。


しかし、今では、(良いか悪いかは別として)先生が暴力を振るえば、すぐに処罰されますし、「親」の存在だって「友達」のような存在になっていますよね。

全然リアリティがなかった、「社会への反抗」ですが。もし、同じような「抑圧」を受けていたら、僕はきっと「反抗心」を持っていたと思います。

このように、「抑圧」に対しては「反抗心」が生まれ。それが、「欲望」となり「行動」になる。ここが、とても興味深いと思いました。

まとめ

「抑圧」に目を向けるって大事じゃね?と感じたエピソードをまとめてみました。

新規メディアや商品といったビジネス。人間観察のヒント。コミュニケーションテクニック。色々な点で使える考え方じゃないかなと思いつつ、日々想像を続けております。

是非、こんな「抑圧」見つけたよ。なんてことがあれば、教えていただきたいです。

攻殻の脚本家、佐藤大さんの「永久家族」が面白い

面白い映像を発見

攻殻機動隊の脚本家について調べていたら、
脚本家のひとり「佐藤大」さんのデビュー作。「永久家族」を発見した。

奇抜なカメラワークとシナリオ。「フリクリ」を初めて見た時のような衝撃を受けたので、紹介します。

「永久家族」は、奇妙な世界の" 作られた家族 "を1話25秒、全53話で描いた映像作品です。

監督、キャラクターデザインは、アニマトリックスを手掛けた「森本晃司
TVCMとして放映されため、全話視聴することが難しく「幻のアニメ」と言われていたらしいです...(詳しくは後述します)

あらすじ

年代不明。 サイバースペースに誕生したチャンポンシティーの一角では、中流階級の娯楽として、リアルなホームドラマが流行していた。


このドラマは中央管理局が市民管理政策の一貫として実施する「試験管家族(カプセル家族)」の様子を実況中継しているものだった。


試験家族とは、郊外に設置されたカプセルホームにシティから寄せ集められてきた落ちこぼれ市民を住まわせ、家族として生活させるというものだった。


夢を失った人間や、親に捨てられた子供などに、同じ家族としての記憶を植え付け、過去も現在も未来も無く、ただ部屋の中で日常を繰り返し、様々なタイプの家族をシミュレートするのである。

動画

「永久家族」について

作られた背景

永久家族』(えいきゅうかぞく、Eternal Family)は、1997年に初放送された、森本晃司監督の、日本のアニメ作品。


この作品は当初、NTTPCコミュニケーションズが運営するインターネット接続プロバイダ、InfosphereのテレビCMとして放送された。


一話25秒のエピソードを、1997年4月から1998年3月まで、毎週内容を更新し全53話を放送するという特異なスタイルでの発表となった。


ただ、その特異な放送方法ゆえに全話視聴することは難しかったが、その後、放送から7年が経過した2004年に、全話を収録したDVDが発売された。


また、この作品は佐藤大の脚本家としての実質的なデビュー作でもある。

どこに惹かれたか

「永久家族」の最大の特徴は、一話25秒のCMとして作られたことです。
この短い時間で、視聴者を惹きこむ映像。ここに、「永久家族」の魅力が詰まっています。

ストーリーが意味不明という評価がありますが、見るべきはそこではないと思います。(ストーリーも面白いですが...)

トイレに流されて終わる締め、大胆な "キャラクターの動き" や "カメラワーク"。実験的な作品と呼ばれているだけあって、色々な技法を使ってインパクトを生み出しています。

なかなか言葉では説明し辛いこの作品。是非、見てもらいたいです。

「旬菜nanapi」をリリースしました

「旬菜nanapi」をリリースしました

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6月21日、旬の野菜から料理レシピを探せるスマホ用サイト「旬菜nanapi」をリリースしました。

作ったきっかけ

作り始めたきっかけは、飲み会で和田さんに、「コーディング出来るなら、アラ(@wknar)と何か作ってみなよ!」と言ってもらったことでした。

本当に実施されるの?と疑いつつも、すぐにMTGが組まれ、プロジェクトが始まりました。

縛りはほとんどなく、「3週間でnanapiに関連した新機能を作る」とだけ決められ、アルバイトのアラちゃんと何を作るか考えるところから始めました。

開発部3つのポリシー

基本的に、何を作っても自由だったのですが、nanapiがリリースするモノの条件として

・記事の量を増やす
・記事の質を高める
・記事にアクセスしやくする

の3つ、どれかに当てはまること。と伝えられ、それを踏まえ企画を考えました。

企画意図

「旬菜nanapi」が出来たきっかけは、アラちゃんの「ハウス栽培で、一年中、色々な野菜が売ってるから、何が本当に旬か分からないよね」というアイデアからで。

旬の野菜が何かを伝え、その食材を使った料理を作って欲しいな。と制作を始めました。

提出した企画案はこんな感じ

○企画意図
いつでも、色々な野菜が手に入る今こそ。旬の野菜を楽しもうよ。


○目的
旬の野菜を使った料理を作ってもらうこと
(野菜を使った料理レシピへアクセスしやすい機能作り)


○ターゲット
料理意欲の高い20代中盤~30代前半の初心者主婦
夫・子供の健康を考え、旬の野菜に興味を持っている。


○手段
・旬の野菜を知ってもらう
・野菜を使った料理レシピを見てもらう

リリースまでの流れ

企画が出来たあとは、必要な機能を考え、デザインし、制作していきました。

制作面でわからないことがたくさんありましたが、その度、開発部のみなさんに、色々と質問させていただき、わからないことを1つ1つ理解しながら、作ることができました。

nanapi開発部のみなさんありがとうございました。

リリース後

リリース後、学生二人で作ったサービスとして、リリース・告知していただき、nanapiではプレスリリースも打っていただきました。

プレスリリース

2012/06/21
学生メンバー2名によるプロジェクトを実施し、旬の野菜からレシピが探せるスマートフォン向けサイト『旬菜nanapi』をリリースしました

リリース後も、使っていただけるように、改善していきたいと思います。

最後に

「何か作ってみなよ!」と新しいチャンスをもらえたこと。リリースするまで応援・協力してくれたこと。本当にありがとうございました。一緒に作ってくれたアラちゃんも、ありがとう!

また、リリース後、たくさんのヒトに共有いただき、とても嬉しかったです。

これらも、機会を活かして、日々精進していきたいと思います。ありがとうございました。

生まれた時から「社会」の一員なのに、なぜ「社会人」になるんだろう

「社会人」という言葉を聞くと、生まれた時から「社会の一員」なのに、改めて「社会人」になるって変じゃない?と違和感がありました。

なぜ、学生が終わり働き始めるタイミングで「社会人」と言われるようになるのか。調べて、自分なりに考えてみました。

日本語に「社会」という言葉はなかった

「社会」という語は、伝統的な日本語のうちになかった。society[英]、Gesellschaft[独] 、societe[仏]などの翻訳語として、明治期に創出された。

と、あるように「社会」という言葉は、翻訳語だったんですね。

伝統的な日本語のなかで「社会」の語にいちばん近く、一般的であったのは、「世間」であった。「世間の荒波」=「社会の荒波」というように、今日でもしばしば「社会」の同義語として用いられる。この「世間」とは、柳田国男らの民俗学があきらかにしているように、元来、共同体の外部を指す語であった。

その代わりにあったのが「世間」という言葉です。
同意語として用いられることもありますが、ここに大きな違いがあります。

日本: 「社会」=「世間」(共同体の外部)

英・仏・米: 「社会」=「社交界、協会、会社」(共同体の内部)
※内部といっても、広いコミュニティに属しているイメージ

「世間」とは、共同体の外部。
つまり、ある集団の外側を指す言葉として使われていました。

この2つは、まったく逆の意味です。
なぜ、日本では英・仏・米のように(共同体の内部)を表す言葉が生まれなかったのでしょうか。

「村」と「世間」

これは、日本が村社会だったことが関係していると思います。

今考えると驚きですが、昔の日本人は、生涯を村から出ず終える人も多く、極めて狭い活動範囲で生活していました。

したがって、自分たちが生活する範囲を「村」(共同体)。
その外側を「世間」(共同体の外側)と呼んでいたわけです。

「社会人」とは

こう考えると、「社会人」という言葉も納得できます。

今まで生活していたコミュニティ(家庭内、学校内など)は一種の「村」なんです。

だから、その「家庭・学校」などの狭いコミュニティから、外側(=世間)に出ることで始めて「社会人」と呼ばれるのだと思いました。

おわりに

まず、頻繁に使っている「社会」という言葉が、翻訳語だったことに驚きました。

このように、何気なく使っている言葉でも、成り立ちを考えてみると、新しい発見があると思いました。

肺に穴が空いた時、考えてたこと

そういえば、実は春休み終盤に肺気胸という病で二週間ほど入院しました。どんどん忘れてきてますが、その時考えてたことをまとめてみます。

気胸になった

以前にも、肺に穴が空き病院に言ったことがありましたが、その時は、すぐに塞がり自然治癒での治療だったので自宅安静ですみました。

ですが、今回はその時に癒着した(塞がるときに肺の外側にくっついた)部分が剥がれてしまったらしく、出血するなど外科的な処理が必要な状態でした。

といっても、生命に別状があるわけではなかったのですが、即日入院と言われ、「明日面接なんだけど!」と少し慌てる気持ちと、「就活から逃げれる・・・」といった気持ちの両方がありました。

周りは老人ばかり

入院した病室は6人部屋で、僕以外は大体70以上の高齢者でした。病気の状態は人それぞれで、寝たきり状態の方から自分で歩ける状態の方までいました。

「病院は老人ばかりなのだな」などと考えはしましたが、特に挨拶する雰囲気でもなく、僕もベッドで安静な状態だったので、特に違和感もありませんでした。

手術することに

結局、肺の穴は自然に塞がったのですが、再発リスクを下げるために肺の一部を切除する手術をすることになりました。

手術までに一週間ほど時間があり、それまでは安静にしてて下さいと言われました。肺の穴はふさがっていたので、体の状態も良く、空気を送るために肺に入れてある管がある位で、ほとんど健康な状態でした。

ネットの先にある日常

病院での生活は、基本寝るか本を読んでました。横浜の僻地に病院があったため、お見舞いに来てとも頼みづらく、ほとんど人に会わない生活でした。

病室ではiPhoneを使用して(利用しても何も言われなかった)TwitterFacebookなどを見ていたので、自分は非日常な空間にいるけど、ネットの先にいる人達は変わらない生活をしていて、なんだか不思議な感じでした。

死が近くにあること

病院には様々な容態の患者さんがいました。自分で呼吸できない人や、車椅子を使わないと移動できない人。

普段の生活では、あまり見ない不自由な生活をしている人。

遠い未来のように感じてましたが、「いつか僕も歳をとるのだ」とずっと考えていました。その時、だれかお見舞いに来てくれるだろう。そもそも、今の交友関係っていつまで残るものなんだろうとか。

人間は、「死」を考えないように上手く設計されてるのかもしれませんね。いつか死ぬ、なんてことを真剣に考えてる人は少数です。

たまに、「毎日、今日死んでも後悔しないよう生きてる」なんていう人もいますが、本当にそう思って生きてるなら異常です。

実際に「友人、知人、家族の死」をきっかけに悔いのない人生にしないと。と死生観を改める人もいますが、そんなに長続きしないと思います。

手術

そんなこんなで、色々考えてるうちに手術の日になりました。自分の体にメスを入れるのは始めてたったので、少し怖かったですが。

手術室に運ばれる間は、かなりリラックスしていました。

手術室に入ると、なぜかワンピースのサントラがかかっており、「なんでワンピースなんですか?」と聞くと、手術助手のおばちゃんが、「わかった?若い人の好みがわからなくて、選んだんだけどどうかしら」などと気遣いでかけてくれたと知り思わず笑いました。

ワンピースのopが流れる中、全身麻酔が打たれ手術開始。起きたら、手術は終わってました。

手術後は不自由

内視鏡手術だったので、傷は小さかったのですが、それでも手術直後は大変でした。自分で歩くことができず、看護師さんに色々と手伝ってもらいました。(介護される人の気持ちになった)

術後、傷の痛みと、39度くらいの熱が続き、一時期はかなりしんどかったです。

この痛みが無くなるなら死んでもいいかなー。なんてうっすら考えながら、次の日まで耐えると。徐々に体調も良くなって来ました。

日常に復帰

経過は順調で、入院生活は2週間で終了。
久しぶりに病院の外に出ると、季節が変わっていました。

家に帰り、MacBookAirに触れた時に、「パ、パソコンだあああ」とキーボードの感覚を懐かしみ。「インターネット楽しい!」と思ったときに、「あれ、俺意外とインターネット好きかも・・・」などと思いました。笑

振り返り終了

色々と省略していますが、大体こんな感じ。
バイト先を始め、色々な方に心配おかけしてすみませんでした。

今、退院後1ヶ月半位なのですが、入院中に感じていた、

  • 「健康が一番!」
  • 「そのうち死ぬんだから、出来るうちにやりたいことやろう」
  • 「最終的に残るのは、親しい人とのつながり」

なんてことも手術痕が薄くなるのに比例して、どんどんと忘れきてました。

忘れること。見ないようにすること。これも、人生を生きやすくするための仕組みだと思いますが、まだ少し覚えてるうちに文章にして残したいと思い、ブログにしてみました。

ブログ

はてなブログ始めました。

これまで何度も始めようと思っていたのですが、何書いていいかわからず、なかなか続きませんでした。

 

このブログの目的は、自分の考えを文章にして伝える練習をしよう。

ということで、徐々に上手くなっていけたらいいなと思ってます。

 

よろしくお願いします。